1968年にF1第1期活動を終えたホンダが、再びF1サーカスに戻ってきたのは1983年7月イギリスGPのことだった。フェラーリ、マクラーレン、ルノー、ブラバム、ウィリアムズ、アルファロメオなど強豪がひしめく中、スピリット・ホンダ 201Cは挑戦者として帰ってきた。タイトル写真はオランダGP、スピリット・ホンダ201Cの後ろを走るゼッケン8はマクラーレンのニキ・ラウダだ。(写真:金子 博)

好成績を残せなかったが、頂点への足がかりを作る

1978年、F1復帰を発表したホンダだったが、第1期終了から10年の技術進歩を考えるとすぐには踏み切れず、まずF2での実績と経験を積み上げてからF1に挑戦することになった。そのため、F1の参戦までには5年の歳月を費やすことになる。

F2参戦2年目の1981年に欧州F2を制覇し、1983年から1984年には12連勝を記録。F2を戦いながら、1983年からいよいよF1のエンジン開発にも着手、第2期はコンストラクターにエンジンを供給する方法を採ることになった。

F1活動第2期開始を告げる記念碑的モデルとなったのが、このスピリット・ホンダ 201C。スピリットはホンダが出資して興したレーシングコンストラクターで、1982年にまず欧州F2選手権に参戦して3勝をマーク。そして翌1983年にはF2マシンをF1用に仕立て直した「201C」に1.5L V6ターボエンジン(RA163E型)を搭載し、いよいよ1983年7月の第9戦イギリスGPでF1デビューを果たすことになる。

しかし、F2マシンをベースとしたシャシでは限界があり、また画期的な燃料噴射装置を備えたエンジンにもトラブルが多発、ドライバーにステファン・ヨハンソンを起用したスピリット・ホンダ 201Cは6戦して最高位7位(第12戦オランダGP)という成績で1983年シーズンを終えた。

スピリットは次のシーズンに向けて新しいシャシを準備したものの、1984年、結局ホンダはウィリアムズと組むことになる。これにより、スピリットは短命に終わってしまうが、F1復帰への足がかりという重要な役割を果たした。

画像: F1活動第2期のデビューエンジンとなった1.5L V6ツインターボ Honda RA163E。当初ターボチャージャーはKKK製だったが、後にIHI製に変更されている。最高出力は600ps以上とされていた。

F1活動第2期のデビューエンジンとなった1.5L V6ツインターボ Honda RA163E。当初ターボチャージャーはKKK製だったが、後にIHI製に変更されている。最高出力は600ps以上とされていた。

画像: 1台体制での参戦で、F2でも活躍していたステファン・ヨハンソンがステアリングを握った。彼はその後、フェラーリ、マクラーレンへ移籍して活躍している。

1台体制での参戦で、F2でも活躍していたステファン・ヨハンソンがステアリングを握った。彼はその後、フェラーリ、マクラーレンへ移籍して活躍している。

画像: 1983年7月に行われた第9戦イギリスGPでF1デビュー。当初は第1期のカラーリングに似た、白地に赤のものだった。細身で華奢なフロントセクション、角ばったサイドポンツーン、巨大なリアウングが特徴。

1983年7月に行われた第9戦イギリスGPでF1デビュー。当初は第1期のカラーリングに似た、白地に赤のものだった。細身で華奢なフロントセクション、角ばったサイドポンツーン、巨大なリアウングが特徴。

スピリット・ホンダ 201C Spirit Honda 201C(1983)

エンジン:Honda RA163E
排気量:1496cc
形式:水冷80度V6DOHCツインターボ
ボア×ストローク:90.0×39.2mm
圧縮比: 6.6
平均ピストンスピード:14.37m/sec
最高出力:600ps以上/11000rpm
カムシャフト駆動方式:ギアトレイン
燃料供給方式:PGM-FI 1インジェクター
スロットル形式:6連バタフライ式スロットルバルブ

シャシ:Spirit 201C
デザイナー :ゴードン・コパック
車体構造:アルミ・ハニカムモノコック
ホイールベース:2540mm
トレッド前/後:1753/1626mm
サスペンション:ロッカーアーム/ウイッシュボーン
タイヤ前/後::11-13/15-13インチ
燃料タンク: 125L
トランスミッション:5MT車体重量:590kg

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