1960年代のホンダのGP活動期、ホンダチームのキャプテンと呼ばれたのが、ジム・レッドマンです。でも、ワークスGPライダーとしてホンダ一筋のキャリアを歩んだ彼が、GP引退後に営んだビジネスはなんとGPライダー時代の宿敵、"ヤマハ"の販売店でした・・・。

ホンダは引退後に、こんなオファーを出しましたが・・・

1962、1963、1964、1965年に、ホンダのGPマシンに乗って合計6度も世界王者となったレッドマンは、1966年限りにGPライダーとして引退することを決めました。そしてレッドマンはGPの舞台である欧州を離れ、南アフリカで暮らすことを選びました。

ホンダは第1期GP活動の大功労者であるレッドマンに、アメリカホンダでしかるべきポジションを用意する・・・と伝えました。しかしレッドマンは米ロサンゼルスに引っ越すより、南アフリカに住み続けたかったので、ホンダからのオファーに断りをいれることを選んだのです。

そしてレッドマンはビジネスパートナーとともにヤマハの販売店を経営します。なんでホンダではないのか・・・とGPファンの多くは思うでしょう。まぁこれは、シンプルにその方がレッドマンにとって条件が良かったから・・・というビジネスマンとしての正しい選択にすぎないことです。

レッドマン、ヤマハRD56で大活躍!

パートナーとともに南アフリカでヤマハ車を売りまくっていたレッドマンのもとに、日本のヤマハから1台のバイクがある日届けられました。それはフィル・リードらが乗車し、1964年にレッドマンのホンダとGPで激戦を繰り広げたヤマハのGP250ccワークスマシン、RD56(空冷2ストローク並列2気筒ロータリーディスクバルブ)でした・・・。

送られてきた1965年型RD56にはメッセージが添えられており、そこには「もし再び、南アフリカでレースに出たい誘惑に駆られたときに備えて」と記されていたそうです。1966年度のGPで負った怪我で引退を決めたレッドマンですが、生粋のレース好きの心のなかにはまだレースへの情熱の残り火がくすぶっていました。

画像: ヤマハニュース(英語版)1967年第6号(10月号)に掲載された、レッドマンの南ア・プレトリアでのレースの勝利を伝える記事。 global.yamaha-motor.com

ヤマハニュース(英語版)1967年第6号(10月号)に掲載された、レッドマンの南ア・プレトリアでのレースの勝利を伝える記事。

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さすが元GP王者、地元じゃ負け知らず!

レッドマンの自伝「Jim Redman: Six Times World Motorcycle Champion - The Autobiography」の記述では、ヤマハでの初レースは南アフリカの南のケープタウンだったそうです。

レッドマンはケープタウンでのレースで、戦う相手がかつてのチームメイト、マイク・ヘイルウッド+ホンダ6気筒であることが判明したとき、ヤマハに跨っていた自分のことをとても奇妙に感じたそうです・・・。

画像: 1968年のヤマハニュース(日本版)No.66・12月号の記事。南アフリカでヤマハRD56に乗り活躍している近況を報告しています。左の写真では、レッドマンの後ろにマイク・ヘイルウッドが見切れています。 global.yamaha-motor.com

1968年のヤマハニュース(日本版)No.66・12月号の記事。南アフリカでヤマハRD56に乗り活躍している近況を報告しています。左の写真では、レッドマンの後ろにマイク・ヘイルウッドが見切れています。

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抜きつ抜かれつのバトルをかつての僚友と繰り広げたレッドマンですが、このレースはレッドマンが先行しているときにマシンが不調となり、リタイアを強いられることになったそうです。しかしその後に出場したレースでは、ホンダ時代に乗り慣れたレーシング4ストロークとは異なる技術を要するレーシング2ストロークの乗り方をマスターし、負け知らずの活躍をするようになったそうです。

なおレッドマンの自伝、「Jim Redman: Six Times World Motorcycle Champion - The Autobiography」はVeloce Publishingから発売されています。もちろん英文ですが、興味ある方はぜひ読破にチャレンジしてみてください!

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