日本はもとより世界の陸・海・空を駆けめぐる、さまざまな乗り物の凄いメカニズムを紹介してきた「モンスターマシンに昂ぶる」。復刻版の第32回は、日産 R382に搭載されていたV12エンジンを紹介しよう。(今回の記事は、2017年1月当時の内容です)

驚異的な進化はグロリア スーパー6のG7型から始まった

画像: タイトル画像:日本モータースポーツ史第1期の1969年、ワークスレーシングカーの頂点に立った日産R382とGRX-3エンジン。歴代3車(奥からR380、R381)を比べると驚異的な進化がわかる。

タイトル画像:日本モータースポーツ史第1期の1969年、ワークスレーシングカーの頂点に立った日産R382とGRX-3エンジン。歴代3車(奥からR380、R381)を比べると驚異的な進化がわかる。

「日本グランプリ」は、今でこそF1世界選手権シリーズの日本大会を指すが、1963年から1969年までは、国内モータースポーツの頂点として存在していた。この時代を、日本モータースポーツ史 第1期と言う。

第1期最後の「1969 日本グランプリ」で圧勝したのが、日産 R382であることは多くの読者が知るとおりだが、その搭載エンジンこそ国産レーシングエンジン史上最大のモンスターだった。今後もこれほどのエンジンは出現しないであろう。そのR382に搭載されたGRX-3エンジンは、6LのV型12気筒 DOHC48バルブで約600psという、約半世紀を経た現代の視点でも極めて強大なスペックを誇っている。

ではGRX-3のルーツは何か? それは1963年製のプリンス・グロリア スーパー6(S41D)に搭載されたエンジンで、2Lの直列6気筒 SOHC、最高出力105ps/5200rpmを発生した「G7」にまでさかのぼる。これをベースとして、ウエーバー製3連キャブに換装して125psまでチューン、1964年の第2回日本グランプリでグロリアとスカイライン(S54)が2クラスで圧勝。これが、国産初のレース専用エンジン「GR8」の基になった。

画像: 手前がプリンスR380用に開発されたGR8エンジン。基になったのは、2代目グロリア スーパー6に搭載された直6のG7型。奥のGRX-3まで、わずか6年で排気量は3倍、出力は約6倍にも怪物化した。

手前がプリンスR380用に開発されたGR8エンジン。基になったのは、2代目グロリア スーパー6に搭載された直6のG7型。奥のGRX-3まで、わずか6年で排気量は3倍、出力は約6倍にも怪物化した。

2Lの直6 SOHCだったG7のボア×ストローク75×75mmを、82×63mmにショートストローク化されたのがGR8だ。アルミ製のシリンダーブロックにウエットライナーを採用し、さらにDOHC24バルブ化して8000rpmで約200psを絞り出す、ほぼ専用新設計のレーシングエンジンと言えるものだった。

このGR8を搭載した初の国産純レーシングカー「R380」は、1966年の第3回日本グランプリで宿敵ポルシェ 906の打倒に成功した。GR8とR380は、わずか3年余りで次々と進化し、ルーカス製メカニカルインジェクションを得た最終型では、最高出力は250psにまで到達している。

当時の逸話によると、8000rpmへの高回転化は、次世代のGRX系V型12気筒エンジンを開発するより難題だったそうだ。その困難に挑んだのは、第二次大戦中に中島飛行機で「栄」や「誉」エンジンを開発した、中川良一 主任技師らだった。

世界制覇を目標にしたモンスターマシンR382とそれに続くR383

画像: 600ps近いパワーを受け止めるため、当時最大級の15.5×15インチタイヤが装着されたR382のリアビュー。展示車は当時のタイヤではないが、現代のF1と比べても迫力! 巨大なオイルクーラーがリアスポイラー直下に収まる。

600ps近いパワーを受け止めるため、当時最大級の15.5×15インチタイヤが装着されたR382のリアビュー。展示車は当時のタイヤではないが、現代のF1と比べても迫力! 巨大なオイルクーラーがリアスポイラー直下に収まる。

1968年5月の日本グランプリでは、トヨタも初の純レーシングカーを投入する見とおしとなり、ニューマシン「R381」と、5LのV型12気筒「GRXエンジン」の搭載が急務となった。このGRX-1は、GR8を2機合わせただけという代物ではない。排気量は2.5倍となり、シリンダーブロックをはじめすべてが専用の新設計だったのだ。そのため開発は思うように進まず、結局、完成・搭載されたのはレース終了後の12月のことだった。

開発が間に合わないと判断した日産は、やむなく市販レースエンジンとして信頼性の高いシボレー製の5.5L V型8気筒の搭載を選択せざるを得なかった。これを同じアメリカのムーン社がチューンしたもので、結果としてR381は圧勝するも、職人気質のエンジニアたちは素直に喜べなかったに違いない。

ちなみに怪鳥の異名を持つR381は、当時人気のカンナム(カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ)シリーズの雄、シャパラルが先鞭をつけた、ハイマウントウイング=エアロスタビライザーを装着する画期的なマシンだった。

画像: R382のコクピットはまさに手造り。男の作業場。左端から油圧・燃圧・油温・回転数・電流・水温計が無造作に並ぶ。ステアリングは3本の+ネジで固定されるだけ。その右に5速ミッションのシフトロッドが見える。無線なんてものは、もちろんない。

R382のコクピットはまさに手造り。男の作業場。左端から油圧・燃圧・油温・回転数・電流・水温計が無造作に並ぶ。ステアリングは3本の+ネジで固定されるだけ。その右に5速ミッションのシフトロッドが見える。無線なんてものは、もちろんない。

GRX-1が完成した直後である翌1969年初頭には5L→6L化がスタート、富士スピードウェイでの練習走行も行われていた。俗に言う「1969 日本グランプリ直前に意表を突く発表」をするため情報を秘匿されてはいたが、その光景を目にしていたライバルチームの技術者は、5L以上を搭載していることを見抜いていたはずだという。この6L版のGRX-3を搭載したR382は日本グランプリで2連勝を成し遂げる。

その後の予定では、進化版のR383で宿敵トヨタ ニュー7(5L/474S)とともにカンナムシリーズに参戦することになっていた。当時、カンナムを席巻していたのは、マクラーレン M8、シャパラル 2、ローラ T160など、いずれもシボレーV8の6〜7Lで600ps超級のエンジンを搭載したマシンたちだった。さらにポルシェ 917(スパイダー)系、フェラーリ 612Pなども加えた大排気量のモンスターマシンたちに殴り込みをかけようとしていた。

しかし、大気汚染や交通戦争対策を理由に、日産もトヨタもカンナムと日本グランプリへの参戦プロジェクトを突如白紙撤回してしまう。2大ファクトリーチームが不参加となった、1970年の日本グランプリは中止となる。すべてが「幻」のまま、封印されてしまったのだった。(文 & Photo CG:MazKen/取材協力:日産自動車)

■日産 GRX-3型エンジン 主要諸元

●形式:水冷V型12気筒・4バルブDOHC
●排気量:5954cc
●ボア×ストローク:90.0×78.0mm
●燃料供給方式:機械式燃料噴射
●最高出力:592ps以上/6400rpm
●最大トルク:64.2kgm/5600rpm
※レース用エンジンは、コースや天候等の条件によりパワースペックは大きく異なる。

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