これまでF1では多くのライバルが様々なドラマを生み出してきました。F1がはじまって70年近くになろうとしていますが、私の中で一番フェアだったと思えるのがこの2人。モータースポーツの素晴らしさ、スポーツの美しさをみせてくれた2人、ミカ・ハッキネンとミハエル・シューマッハの闘いの歴史に迫ります。

始まりの場所「マカオ」

1990年のマカオF3、2人の闘いはここからはじまります。F3世界一決定戦マカオGPに2人の姿はありました。ミカ・ハッキネンは当時イギリスF3チャンピオンでマカオでもポールポジションを獲得。長年破られなかったアイルトン・セナの予選タイムを更新しました。

予選2位にはドイツF3チャンピオン、ミハエル・シューマッハがつけます。マカオは第1レグと第2レグがあり、両方のタイムの合計タイムで優勝が決まります。ハッキネンは第1レグを制していてラップタイムもシューマッハより速く余裕がありました。第2レグでシューマッハにパスされるもこのまま行けばハッキネンの優勝でした。

しかしレーサーの本能か、シューマッハをパスしようと試みるも失敗、接触しハッキネンはリタイア。シューマッハはリアウイングを失いながらもゴール!総合優勝に輝きました。この結果のようにシューマッハはF1で活躍しますが、ハッキネンには長く苦しいF1生活が待っていたのです。

画像: Schumacher vs Hakkinen - Macau 1990 youtu.be

Schumacher vs Hakkinen - Macau 1990

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世界チャンピオンをかけた闘い

共に1991年にF1デビューを果たしますが、シューマッハは1994、1995年にチャンピオンに輝くなど大活躍、一方ハッキネンはなかなか活躍できず、ハッキネンが初優勝をあげたのは1997年の最終戦ヘレスでした。

そして翌1998年、いよいよハッキネンの時代が到来!ハッキネンとマクラーレン・メルセデスのコンビは強力で開幕戦から強さをみせシリーズをリード、一方シューマッハもフェラーリに移籍して3年目という勝負の年、チャンピオンを目指してハッキネンに食らいつきます。そしてチャンピオン争いは最終戦日本GPにもつれ込みます。

決戦の地「鈴鹿」

1998年のチャンピオン争いは4ポイント差でハッキネンがリード、シューマッハは鈴鹿で優勝するしかチャンピオンの道はありません。2人に闘いは予選から火花を散らします。

優勝が絶対条件のシューマッハにはどうしてもポールポジションが必要でした。激しくタイム更新していく2人ですが、ラストアタックでハッキネンが痛恨のミス、シューマッハがポールポジション、ハッキネンが2番手となりました。

決勝のスターティンググリッドでハッキネンはシューマッハのところへ、2人はフェアなバトルを誓い握手、フェアプレーを誓いました。後続車がストールし、スタートディレイ。そして2回目のフォーメーションを終えスタートを待ちます。しかしシューマッハのマシンがオーバーヒート、なんと最後尾スタートに。レースはシューマッハが猛烈に追い上げますが右リアタイヤがバーストしリタイア。その瞬間ハッキネンのチャンピオンが確定。しかしハッキネンは完璧にレースをこなし優勝でチャンピオンを決めました。あのマカオから8年後の栄光でした。

レースは残念な内容になってしまいましたが、お互い全てを出し切った結果でした。シューマッハはずっとハッキネンが帰ってくるのをパルクフェルメで待っており、そして帰ってきたハッキネンとガッチリと握手!握手してからシューマッハは去っていきました。最後の最後までフェアプレーを貫き、ライバルを祝福、新たなチャンピオン誕生の瞬間は涙無くしては語れない場面となりました。

1999年はシーズン途中まで2人はチャンピオン争いを演じるも、イギリスGPでシューマッハがクラッシュし骨折、長期離脱となってしまいます。ハッキネンはシューマッハの相棒エディー・アーバインとのチャンピオン争いを制し、2年連続でチャンピオンを獲得しました。そして20世紀最後の年に再び2人は世界一をかけて戦うのです。

今でも語り継がれる20世紀最高のオーバーテイク

2000年は開幕戦からシューマッハが絶好調、しかしシーズン中盤でシューマッハのリタイアが続き、ハッキネンは着実に差を縮めていきます。

チャンピオン争いも終盤戦になった第13戦ベルギーGP。セーフティーカースタートとなったレースはウエットからドライになる難しいコンディションで、トップを走るハッキネンが13周目にスピン、その間に2位のシューマッハが1位に浮上します。ハッキネンはすぐにコースに復帰するも2人の差は10秒に拡がりました。

しかし、そこからハッキネンがもの凄い追い上げをみせます。スパフランコルシャンサーキットの名物オールージュを登った後のケメルストレートでハッキネンが仕掛けるもなんとかシューマッハが阻止!そして翌周のケメルストレート、前にいる周回遅れをアウト側からパスするシューマッハに対し、ハッキネンは同時にイン側に滑り込み2台同時にオーバーテイク!

素晴らしいバトルを制しハッキネンが優勝!シューマッハもこの時のハッキネンには脱帽でした。

画像: F1 greatest ever overtake Hakkinen Schumacher spa 2000 youtu.be

F1 greatest ever overtake Hakkinen Schumacher spa 2000

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異次元の2人。激しすぎるタイム合戦

そんな激しいバトルを繰り広げながら2人はチャンピオン争いを繰り広げていきます。そしてチャンピオン決定の場はまたしても鈴鹿。2年前と違うのはシューマッハが8点差でリードしているというところです。

2年前、そして前年の鈴鹿の予選でも激しくやりあった2人ですが、この年の予選は魂が痺れる予選となりました!「ハッキネンが3メートルブレーキ我慢するなら、自分は5メートル突っ込んでやる」と記者会見から言い合っていた2人は、予選でお互い凄まじいタイムを出し合います。シューマッハがラストアタックで記録したタイムは、なんと0.009秒ハッキネンを上回ります。そのタイムにハッキネンは越えることができず、シューマッハがポールポジションを獲得しました。

決勝レースは、ハッキネンがスタートを決め先頭に躍り出ます。シューマッハとハッキネンが3位以下を置き去りにするハイペースでレースは進んでいきます。お互いインラップとアウトラップを全開で削っていくレースは、派手なバトルは無いものの痺れる展開となりました。

そして最後のピットインで、シューマッハがハッキネンの前に!フェラーリに移籍して5年目でついにチャンピオン獲得!フェラーリにとって21年ぶりのドライバーズタイトル獲得となりました!!パルクフェルメではお互い言葉をかわすことなく抱擁、ずっと戦ってきた2人には言葉はいらなかったようですね。

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2001年シーズンは、シューマッハが11勝をあげる圧倒的なシーズンになりました。一方、ハッキネンはシーズン4勝に止まり休養を発表。しかし、実質的にこれが引退となってしまいました。

2人が出逢ってから10年、勝つために様々なものを犠牲にし、多くの敵を作りながらもF1を盛り上げたミハエル・シューマッハ。そんな彼が一番の好敵手として名を挙げたのがミカ・ハッキネンでした。ハッキネンは速さだけでなくフェアで真のスポーツマンでした。

モータースポーツだけではなく、スポーツ選手はエゴの塊でガツガツしていて当然、そうでなければやっていけない。それはわかっているし、事実です。しかし初めての、夢にまでみた世界チャンピオンが目の前という状況で、ライバルのところに握手をしにいく姿はとても美しい瞬間でした。

画像: www.formula1.com
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「いい勝者であるためには、時にいい敗者になることも必要だと思ったよ」

2000年の鈴鹿でのレースを終えたハッキネンの言葉です。2人とも、この言葉どおり素晴らしいライバル関係であったと思います。負けたくないという強い気持ちの中にある相手をリスペクトする気持ち、ただ言葉に出すのではなく、彼らの生きざまが、彼らのレースがそれを語ってくれていたと思います。

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