2017年8月11日(金曜)、ついに日本でも公開した「スパイダーマン」シリーズの新作「スパイダーマン:ホームカミング」。
ふとしたことから超人的な能力を得た15歳の少年は、アベンジャーズとその中心人物トニー・スターク=アイアンマンに憧れ、スーパーヒーローとして認めてもらおうと奮闘するが・・・・。

いままでにない、新しいスパイダーマン像

初日に観たことが誇らしくなる、スピーディーでエキサイティングな大迫力エンターテインメントだった。
まずこれまでのスパイダーマンシリーズと完全に異なるのが、主人公ピーター・パーカーがどうやってその超人的能力を得たのかというエピソードが全く描かれていない、という点。クモに噛まれたらそうなった、という一言で済ませているのが面白い。

また、ピーター・パーカーといえばMJ(メリー・ジェーン・ワトソン)という恋人の存在が浮かぶが、本作ではリズという黒人の血を引く長身の美少女との、淡く儚い初恋が描かれている。
(リズの存在は本作の非常に重要な伏線として描かれていて、物語に確かな深みを与えているのだが、同時に本作でヒロインの座を降りて、真打のMJへとバトンタッチしていくことになる。かなり切ない。)

反面、トム・ホランド演ずるピーターは、これまでのどのスパイダーマンよりも明るくポジティブだ。突然得た能力に対する疑問や不安はなく、ただスーパーヒーローになろうという強い想いに突き動かされている。例えばトビー・マグワイア版ピーターでは、自らの力に酔い驕りをもったことで最愛の叔父を亡くしてしまい、力を正しく使うことへの責任を重く受け止め、常に自分を厳しく律することになる。
その点、トム・ホランド版ピーターは、トニー・スターク=アイアンマンを師として崇めており、彼をロールモデルとして自分の行動の規範にしている。それがピーターが持ち前の明るさと前向きさを維持できる大きな要因となっているのである。

(ピーターがスパイダーマンであることを知りつつ、その事実をクールであると喜ぶ無邪気な級友ネッドの存在も、ピーターの明るさを維持する大事なポイント。2人のやり取りは実に微笑ましいし、さらにネッドがピーター同様に天才的な学力と、そしてハッカー的能力を有していることで、ホームズにとってのワトソンのような役割を果たしていくことが予想される)

画像: いままでにない、新しいスパイダーマン像

ヴィランのヴァルチャー(ハゲタカ)を演じるマイケル・キートンの凄み

今回のヴィラン(悪役)のヴァルチャーは、地球を襲来しアベンジャーズによって撃退された異星人たちが遺したテクノロジーを悪用し、武器として密売する組織のリーダーとして描かれる。ヴァルチャーは強靭な翼を備えたマシンを体に装着することで、自在に空を飛ぶ。アジトとの通信装置やレーダーのような機能、強力な熱光線銃を備えており、その装備はアイアンマンに酷似していると言える。

ヴァルチャーを演じるのはマイケル・キートン。最近では「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で超人バードマンを演じ、かつてはバットマンを演じたことでも知られる。彼はトニー・スタークに激しい敵意を持つと同時に、家族を養うという大義名分で異星の武器をテロリストや犯罪者に売る悪党に成り下がった男を、鬼気迫る表情で演じている。彼と、素顔のピーター・パーカーが邂逅するシーンは鳥肌ものだ。

本作は、かつてのジャッキー・チェン映画のように、生意気で鼻っ柱が強い若者が、師の庇護を受けながらもそこから離脱し、強力な敵にひとり立ち向かうことで自立していく過程を、巧みに描いた作品だ。主人公ピーター・パーカーは高校2年生(15歳)。恋い焦がれた女性への思慕よりも、悪を挫き、誰かを救いたいという想いを優先しようとするが、同時に激しい苦悩に思い悩む。
つまり、本作はとても上質な青春映画なのである。

そして、その彼を指導するメンターとして登場するアイアンマンことトニー・スタークは、いつもの通り能天気で良い意味での気まぐれさを発揮しているし、スパイダーマンを追い詰める強大な敵としてのヴァルチャーは、悪に染まる理由と悪事を続けるモチベーションを正当化して怯まない頑固な勁さを見せつける。

一気に大人になろうとする少年の前に立ちふさがる大人たちのパワーが強いからこそ、本作の青春映画としての趣旨が際立っていく。

ピーターの気分で観るか、トニーの気分で観るか、ヴァルチャーの気分で観るか。それはあなた次第だし、どの気分であっても楽しめる良い作品である。

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