今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。第2回目は、2000年代の8耐で2勝した鎌田学です。

2001年は第3ライダー登録

1970年に北海道で生まれた鎌田は、1994年に国際A級に昇格。以降、トッププライベーターのひとりとして全日本選手権で活躍します。そして桜井ホンダやヨシムラなどの名門を経て、2000年にHRC(ホンダレーシング)入り。開発ライダーとしての手腕を振るうことになりました。

2001年の鈴鹿8耐は、スーパースターのバレンティーノ・ロッシが、2000年のSBK(世界スーパーバイク選手権)チャンピオンのコーリン・エドワーズと組んで鈴鹿8耐に再挑戦することが決まり、大きな話題となりました。鎌田はこのチーム・キャビン・ホンダのVTR1000SPW・11号車の第3ライダーとして登録されますが、決勝では出走することなく表彰台の真ん中に立つことになりました。

画像: C.エドワーズ(中央)、V.ロッシ(中央から左)とともに、2001年大会の表彰台の中央に立つ鎌田学(中央から右)。 www.suzukacircuit.jp

C.エドワーズ(中央)、V.ロッシ(中央から左)とともに、2001年大会の表彰台の中央に立つ鎌田学(中央から右)。

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ホンダ7連覇をサポートする活躍!

2003年大会で鎌田は、桜井ホンダのライダーとして生見友希雄とペアを組んで参戦。この年の決勝は、スタートから1時間の間に2回もセーフティーカーが導入されるという荒れた展開になりました。優勝候補の本命であるホンダワークス(セブンスターホンダ)の2台は、転倒とトラブルに悩まされ、共にリタイア。ホンダの鈴鹿8耐7連覇に黄信号が点りますが、生見/鎌田組が激戦の8時間を走り抜き、VTR1000SPWを真っ先にゴールへと導きました。

画像: 2003年、桜井ホンダのVTR1000SPWを駆る鎌田学。マシンやライディングギアの各所にあしらわれた「74」は、同年春に逝去した世界ロードレースGP250ccクラス王者、加藤大治郎のパーソナルナンバーであり、彼と共に走る、という友情の証でした。 www.suzukacircuit.jp

2003年、桜井ホンダのVTR1000SPWを駆る鎌田学。マシンやライディングギアの各所にあしらわれた「74」は、同年春に逝去した世界ロードレースGP250ccクラス王者、加藤大治郎のパーソナルナンバーであり、彼と共に走る、という友情の証でした。

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なお1997年から2007年の間、鎌田は鈴鹿8耐に出場し、1999年にはX-Formulaクラス優勝、そして上記の優勝以外にも4度のシングルフィニッシュという好成績を残しています。2008年いっぱいでホンダとの契約を満了してからは、テスター、ジャーナリスト、MCなどの活動を展開し、2輪業界への新たなる貢献の試みをスタートしました。

しかし2010年3月12日、筑波サーキットでのテスト中に鎌田はS字で転倒。多くの人の祈りも届かず、4月8日に享年40歳(満39歳)で息を引き取りました。鈴鹿8耐での数々の活躍は「ガクちゃん」がこの世に残した業績のひとつとして、多くの人の心に今も刻まれています・・・。

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