1995年に講談社の「週刊ヤングマガジン」で連載が開始された、しげの秀一先生の永遠の名作「頭文字D」。限りなくリアルなバトル描写や迫真のスピード感。すべてのクルマ好きの夢が詰まったDの世界。その中でも一番の見せどころである様々な強敵との峠バトル!今回は藤原とうふ店 藤原拓海 AE86 トレノvs エンペラー 岩城清次 ランサーエボリューションⅣに注目したいと思います。

WRCウエポンを追い詰める必殺技・溝落としパート2!

画像1: (頭文字Dファンブック©しげの秀一©講談社©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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エンペラーの要求は、ハチロクと下りで勝負すること。拓海は「名指しできたら」「バトルしてみたい」と清次ランエボⅣの挑戦を受けて立つ。圧倒的戦闘力を誇るランエボⅣだが、京一が清次に与えた作戦は、最も手強い相手に使うシュミレーション③だった。
ハンディキャップ方式で先にスタートした拓海を追う清次。「こんなポンコツ相手に」と慎重な作戦に我慢がならなくなった清次は京一の指示を無視し、一番長いストレートで前に出てしまう。ランエボⅣは清次のテクもあり、ハイスピードセクションで大きく差を広げた。しかし、5連ヘアピンで追いつく拓海。涼介が自らの「公道最速理論」で最重要テーマとしている直線でもコーナーでもないポイントでの速さで清次を追いつめる。

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ランサー・エボリューション限定チーム「エンペラー」のナンバーツーである岩城清次。栃木のいろは坂エリアが本拠地のエンペラーは1カ月で群馬エリアのチームを制圧する事を計画し、秋名に乗り込んで来たのです。

ブレーキングと突っ込みでは勝る拓海。しかし、立ち上がり加速では歯がたたない。そんなマシンの性能の差とも言える壁を、立ち上がり重視の溝落としパート2で超えていくのです。

バトルフィールド:秋名山

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このバトルフィールドのモデルになった舞台は伊香保榛名道路の西沢橋コーナー。拓海のホームコースである秋名山にもかかわらず、苦戦したところから、岩城清次 ×ランエボのポテンシャルの高さがうかがえます。

MITSUBISHI LANCER GSR/RS EVOLUTION IV

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96年、ベースモデルたるランサーのモデルチェンジに伴ってエボも第2世代へ移行した。バンパーから突き出した大型フォグランプが目を引く4代目のエボは、CD値0.30とゼロリフトを達成するほどエアロチューンを徹底。エンジンは搭載位置を左右反転し、トランスミッション内部に設置していたカウンターシャフトを廃止することで駆動ロスを軽減。シリンダーヘッドは新設計となり、ピストンは鍛造へ。ターボはツインスクロール化と共にインタークーラーの容量を15%アップ。最高出力は遂に280PSとなった。

気性が荒く、猪突猛進型であまり頭の良い方ではないが、マシンの潜在能力を引き出す事にはかなり長けている岩城清次。
特にドリフトしにくい4WDをドリフトに持ち込む技術など、ランエボを知り尽くしていると言っても過言では無いレベルのテクニックで「勝った気がしない。秋名じゃなければ、負けてた」と拓海も実力を認めた数少ない1人でした。

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