1982年まで、日本の量産車にはカウリングも低いハンドルも許されていなかった。これらの規制が緩和されたのがレーサーレプリカの誕生を促したのである。そして1983年2月20日SUZUKIから発売された日本のレーサーレプリカ第1号RG250Г。そこから始まったレーサーレプリカブームの軌跡を辿っていきたいと思います。

日本の4メーカーすべてがレーサーレプリカを開発すれば、競争は激化する。
そうなると過激かつ魅力的なモデルが造られ、スーパースポーツブームは
ますます燃え上がっていきました。しかし、その火は10年を経ずして消えていってしまうのです。

NSR250Rの88年型は、レーサーレプリカの転換点となるモデルである。それまでとはライディングポジションが一変し、より低くその名の通りレーサーさながらの低いハンドルを市販車で採用した初めてのモデルと言えるのだ。80年代に勃興したレーサーレプリカブームは、このNSR250Rの登場以降、さらに熾烈なライバル争いを展開し、90年代中盤まで繰り広げられて行くのであった。火付け役であるスズキのΓはV型2気筒エンジンを搭載するRGV250Γを発売。TZR250が大ヒットとなったヤマハは市販レーサーTZに倣い後方排気のモデルをリリースするが、人気はいまひとつであった。最後発であるカワサキはタンデムツインレイアウトのKR250の販売不振を一掃すべく、本格的なレプリカモデル・KR-1で追いかけるなど、80年代後半はメーカー各社がしのぎを削り、開発を重ねて新車を続けざまにリリースしていた。90年降の新作としては、片持ち式スイングアームやPGMメモリーカードキーを採用したNSR250R(1993年10月10日)、完全新設計の70度V型2気筒を搭載したRGV-Г250SP(1996年2月29日)が登場するが、ライダーたちから以前ほど多くの支持を得ることはなかった。

RG250ГとGSX-R(400㏄)、そしてレースブームがレーサーレプリカの人気を一気に押し上げ、日本の4メーカーがこぞって開発に乗り出したスーパースポーツ。しかし、続々発売される各メーカーの最新マシンはイマイチ人気が伴わず、1990年代後半は前出のSPレース用ベースモデルとしての役割が中心となり、徐々にラインアップが減少していきます。そして、継続生産車であっても、250㏄クラスは1999年9月から、400㏄クラスにも2000年9月から排出ガス規制が適用された事により、レーサーレプリカは消滅の道を辿っていったのです。

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