世界最高峰の戦いを演じたライダーたち。その中でも目映いばかりの光を放ち、僕たちを魅了して止まなかった伝説のライダーがいる。ここでは、そんなレジェンド・ライダーと世界で活躍した日本人ライダーに焦点を当ててその栄光の軌跡を辿っていきたいと思います。

「ステディ・エディ」は最後までチャレンジャー

画像1: (Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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まるで機械のように正確でスムーズなマシンコントロールと、ただ速いだけではないクレバーなレース戦略から、「ステディ・エディ」とも呼ばれていたエディ・ローソン。フレディ・スペンサーとはAMA時代からのライバルだった。81年にはカワサキを駆ってAMAスーパーバイクチャンピオンとなり、それを記念したZ1000R、通称『ローソンレプリカ』が発売されたことでもよく知られている。世界GPへの本格フル参戦は83年から。

WGP参戦初年度からヤマハワークスでマールボロ・カラーのYZR500を与えられていたローソンは、ホンダで世界GPを走っていたスペンサーが初タイトルを獲得したのと同じ年に、勝ち星無しのランキング4位を獲得しました。そして、その翌年初勝利に続けて4勝をマークし、スペンサーの
連覇を阻み初タイトル獲得したのです。

WGP成績

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1983 WGP500 YAMAHA YZR500 4 位
1984 WGP500 YAMAHA YZR500 チャンピオン
1985 WGP500 YAMAHA YZR500 2 位
1986 WGP500 YAMAHA YZR500 チャンピオン
1987 WGP500 YAMAHA YZR500 3位
1988 WGP500 YAMAHA YZR500 チャンピオン
1989 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1990 WGP500 YAMAHA YZR500 7 位
1991 WGP500 CAGIVA C591 6 位
1992 WGP500 CAGIVA C592 9 位

1984年のタイトル獲得以降、名実共にYAMAHAのエースとなったローソン。しかし1989年、ヤマハのエースでありながら最大のライバルであるホンダへ移籍、しかもHONNDAのエースであったワイン・ガードナーを破ってタイトルを取るという偉業を達成するなど、世界タイトルを手にした自分に満足する事なく、引退までチャレンジし続けた数少ないライダーなのです。

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