1985年から2007年までの伝説的企画、特集を一冊に凝縮。この連載では、モーターマガジン社全面協力の元、同社出版誌である【名車の記憶】ホンダスポーツクロニクルより、ホンダの名車の歴史を振り返り、紹介をしていきます!(あぁこ@ロレンス編集部)
画像: www.motormagazine.co.jp
www.motormagazine.co.jp

日本の最もアツいモータースポーツのスーパーGTで欠かせない存在のチーム国光、国さんの愛称で親しまれている高橋国光さんをはじめ、日本のモータースポーツ界で知らない人はいない『ドリキン』こと土屋圭市さん、レーシングドライバーの飯田章さん。
モータースポーツで大きく貢献されているこちらの豪華な3名で国外 1995年ル・マン24時間耐久レース に参戦していたんです!マシンはもちろん我らが“NSX”、参戦2戦目になんと!優勝という快挙を成し遂げました、輝かしい功績をどうぞご覧下さい ♥︎

高橋国光

画像: この伝統あるレースで優勝することが私の夢でした。ピットに“WE CAME TO WIN”と書かれたフラッグを揚げていましたが、このフラッグが幸運をもたらしてくれたと思います。 www.motormagazine.co.jp

この伝統あるレースで優勝することが私の夢でした。ピットに“WE CAME TO WIN”と書かれたフラッグを揚げていましたが、このフラッグが幸運をもたらしてくれたと思います。

www.motormagazine.co.jp

土屋圭市

画像: ずっと大声で叫びながら走ってたから声がガラガラになっちゃった 。 クラレーンやF40は速くて悔しいし、ライト故障でコースは見えなくて怖いし...。でも、直線で抜かせてコーナーで抜き返してやったゼ。 www.motormagazine.co.jp

ずっと大声で叫びながら走ってたから声がガラガラになっちゃった 。 クラレーンやF40は速くて悔しいし、ライト故障でコースは見えなくて怖いし...。でも、直線で抜かせてコーナーで抜き返してやったゼ。

www.motormagazine.co.jp

飯田章

画像: 最初、ゴールドライバーを頼まれたときは、とても嬉しかったです。でも、やっぱり国さんに走っても らいたくて、そう言いました。参戦 2年目でこんなにいい成績を残せたコトも、凄く嬉しいです。 www.motormagazine.co.jp

最初、ゴールドライバーを頼まれたときは、とても嬉しかったです。でも、やっぱり国さんに走っても らいたくて、そう言いました。参戦 2年目でこんなにいい成績を残せたコトも、凄く嬉しいです。

www.motormagazine.co.jp

スタート直前に マシントラブル
予想外のピットからスタート…困難を乗り越え。

国光は「章は100%、圭市 は120%の力を出して走ってくれた。本当に嬉しかった」と語り、自身の苦労をさておき二人をいたわる。東の空が白々するころ、憔悴しきった土屋が、クラストップのポジションで国光にステアリングを渡す。これはイケる。チームが活気づく。あえてブレーキパッド交換を行なった。順位はクラス3位に落ちたが、ラップタイムは格段に向上した。そしてゴールまで7時間の時点で待望のクラストップに浮上。さらに順位を上げて総合8位でゴールしたドライバーは、国光だった。「初めは章に頼もうと思ってたが、二人がどうしても国さん走ってといってくれたんだ」レース後に語る国光の涙に、思わずもらい泣きしてしまった。2年目の快挙は、高橋国光を核とするチーム国光の頑固な結束を生み出した。(HA1995年8月10日号掲載)

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.