量産車世界最高速競争の激化。そんな時代に生まれたオートバイの中で唯一、生き残ったのは 隼のみ !その魅力は恐るべき速さや、類い稀なドライバビリティだけでは到底、説明がつきません。 この連載では、モーターマガジン社全面協力の元、同社出版誌である【GOGGLE】より、“隼”が現代まで生き残った本当の理由を紹介をしていきます!

隼における“17万2000”という数字。

画像1: GOGGLE&モーターマガジン社

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隼が示す “17万2000” という数字をみなさんはお分かりでしょうか?
実はこの数字は、隼が誕生し、発売されてから現在までに出荷された台数なのです!!

17万2000。この数字は隼という奇跡のオートバイが1999年に発売されてから、昨年2015年8月末までの年という時間の中で、スズキから全世界へ向けて出荷された台数を示している。発売当時は量産車世界最高速の座を各メーカーが競い合っていた時代で、隼も初期モデルのメーターには、350km/hなんていう数字まで刻まれていたのを覚えている。最高速ウォーズなんて今では考えられないけれど、これもひとつの「時代」だった、と言うべきだろう。 加熱しすぎた最高速競争の熱が去った後、各社のライバルたちはモデルチェンジや生産中止となっていった。しかし、そんな中で、隼だけはそのまま生き残ったのだ。
GOGGLE 2016年 3月号

17年間の間で17万台というと、つまり単純平均で1年に約1万台が「新車」として購入したことになります!これは本来ならまずありえない、まさにレジェンド級の数値です!!

画像2: GOGGLE&モーターマガジン社

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隼は低価格の大衆車でも、何かを真似たバイクでもありません。
それでは、なぜ“隼”のみが世界最高速競争の中生き残れることができたのか??

この答えは、“隼”のみが ずば抜けたパフォーマンス力 をもち、 “ライダーの心に忘れられない感動” 与えてくれたバイクだからなのです!

その理由は、隼は世界最速を目指すためのオートバイとして生み出されたにも関わらず、当時のライバルたちには無かったパフォーマンスを備えていたからだ。ライバルたちもエンジンの動力性能には目を瞠るものがあったけれど、隼はさらに、その恐るべきパワーを支えるためのフレームや足周り、つまり車体そのものが感動的な完成度だったのだ。 隼に乗ったことがなくて、名前だけしか知らないライダーにとっては300km/hマシン。200馬力のモンスター(初期型は175馬力) といった印象が強いだろうけれど、 実際の隼は「エンジンを車体が追い越す」とでも言えばいいのか、圧倒的な車体の剛性感と足周りが、完全にパワーを支配下に置いている。だから隼に乗った瞬間、ライダーはライディングスキルに係わらず、あっさりそのオートバイに乗れてしまうことに驚くことになるのだ。怖さなんて一瞬も感じない。これは、隼というオートバイに触れた人がすべからく感じる「感動」だ。
GOGGLE 2016年 3月号

これまでの実績だけでも革命的ですが、現在も隼は世界中で愛され続けています。世界に誇る日本の生ける伝説を作ってくれバイク“隼”だからこそ、まだこの感動を知らないのはとってももったいない。今後、ずっとオートバイを好きでいてほしいからこそ、隼を知ってほしいのです。

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