リスクを恐れず、世間の風当たりにもひるまず、信念をもって前に進む男たち。同時に、ストイックなだけでなく、人生を楽しみ 快活に笑い、欲望や野心を隠さないが爽やかさを失わないイイ男たち。彼らをロレンスMENと呼び、不定期に紹介していく。

松田優作を超える役者はいない。
そう断言する男は結構多いのではないか。

画像: ©松田優作オフィシャルサイト www.office-saku.com

©松田優作オフィシャルサイト

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鬼気迫るほどの努力家

アクションスターとして彼ほど崇拝されている俳優は少ない。180cmをはるかに超える長身に加え、手指も長く華奢で、彼が銃器を操る仕草はエロティックでさえあった。
役者として大成するために海外進出を望み、常に大きなチャンスを狙って精進するストイックさも持っていた。


彼が実は在日韓国人だという事実を知る者は少ない。元々は金(キム)と言ったが、刑事ドラマ『太陽にほえろ』にジーパン刑事として出演が決まった際に、自分の出自が役者としての評価の、妨げになるのを恐れて帰化したという。実は目も整形で、デビュー前に二重にしている。
いまでは彼の国籍が何であろうと関係はないが、1970年代では確かにタブーであった。自分の大望のためには、どんなことでもする、という彼の気迫が感じられるエピソードである。

1949年9月21日生まれ。山口県下関市出身。
1972年、文学座付属演劇研究所12期生として入所。
73年NTV「太陽にほえろ!」でジーパン刑事を演じ、鮮烈なデビューを遂げる。同年、『狼の紋章』でスクリーンデビューを果たす。
74年『竜馬暗殺』、同年初主演作品『あばよダチ公』などに出演。その後、77年『人間の証明』、78年には村川透監督と初めてコンビを組み、『最も危険な遊戯』に主演。アクションスターとしてその個性をいかんなく発揮した。村川透監督とは以降『殺人遊戯』『処刑遊戯』の遊戯シリーズや、大藪春彦原作の角川映画『蘇える金狼』(79)『野獣死すべし』(80)と数々のハードボイルドアクションの傑作を続けて発表していく。
また一方ではNTV「探偵物語」に主演、企画段階から参加し、探偵・工藤俊作役を軽妙に演じ、その人気を絶大なものとしていく。81年には工藤栄一監督『ヨコハマBJブルース』、鈴木清順監督『陽炎座』と次々に主演をこなし、演技派としても実力をつけていく。
83年には森田芳光監督『家族ゲーム』に主演し、キネマ旬報主演男優賞・報知映画賞など数々の映画賞を受賞。映画スターとして頂点につく。森田芳光監督とは85年に『それから』で再度タッグを組み、その年も数々の映画賞を受賞する。86年には『ア・ホーマンス』で自ら監督、主演をこなし、話題となった。
その後、88年吉田喜重監督『嵐が丘』、深作欣二監督『華の乱』に出演。俳優として円熟期を迎える。
そして、1989年、リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』に出演。主演のマイケル・ダグラス、高倉健に伍して、殺人犯として追われる凶暴なヤクザを演じた。その演技は、国際的にも高い評価を得たものの、同年11月6日逝去となった。享年40歳。


実際、松田優作は、たまに日本のロバート・デニーロと評されることがあった。それは、彼が役にのめり込むあまりに絶食して激やせしてみせたり、病的な印象を作るために奥歯を抜くなどの行為を厭わないためだ(上の写真の『野獣死すべし』の伊達邦彦役では、歯を抜くだけでなく、脚の骨を削って背を少し低くしようと試みて周囲から必死で止められたという)。やはり彼の純粋なまでの野心と、生来の努力家であることがよく分かる。

コミカルさに隠したハードボイルドな顔

画像: 探偵物語の工藤ちゃん役ははまり役 www.office-saku.com

探偵物語の工藤ちゃん役ははまり役

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1979年に日本テレビ系列で放映された『探偵物語』の、主人公 工藤俊作は、彼のはまり役だったと言える。
社会的弱者に優しく、いつもはおどけて時として情けない姿を晒すが、権力や暴力には決して屈しない。愛車のベスパにまたがり、街を駆け抜ける工藤ちゃんの姿に、憧れて原付バイクを競って買った高校生も多かった。

松田優作は、強いだけでなく、弱さを包含する主人公を演じることで、タフガイが銃を撃ちまくるだけの暴力映画のスターとして認識されつつあった自分を変えた。


日本人離れした体躯を持つ松田優作は、それだけで絵になる。
だから周囲は常に彼のアクションを求めたが、一つ型に押し込められることを嫌った彼は、アクションを封印し、文学作品や恋愛映画などにも活動範囲を広げる。
ただ、そうした分野にはスペシャリストというか、それらを得手とする俳優は多かったから、しばらくは苦労したと思われる。海外進出して、世界に通じる役者になるのが夢だったが、なかなかそのチャンスは巡ってこない。

最後まで夢を追う

そんな彼がやっとつかんだのが、ハリウッド映画の『ブラック・レイン』だった。1989年にマイケル・ダグラス主演で配給されたこの映画は、”大阪の街を舞台に日米の刑事たちが協力してヤクザと戦う物語”である。
日本人の殺し屋「佐藤」役の候補として自分が選ばれ、監督のリドリー・スコットに「君はアクションできるのか?」と聞かれたとき、松田優作は思わずニヤリとして「Of Cource(あたりまえだろ)」と答えたという。
アクションを封印し、さまざまな役柄に挑戦したのちにやってきたチャンスは、やはりアクションだった。


しかし、そのことにこだわるのではなく、彼はチャンスを手中することになんのためらいもなかった。
こだわるべきは手段や過程ではなく、目的そのものの実現であると、彼は十分に理解していたのである。

映画『ブラック・レイン』(原題:Black Rain) 予告篇

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この『ブラック・レイン』が、彼の最後の映画出演になるとは、この瞬間には自分でも知らなかっただろうが、クランクインするころには病魔が体を蝕んでいることを、彼は医者から告げられていたという。それでも、寿命を縮めてでも映画に賭ける、自分の夢を実現させる。最後の最後まで、松田優作は、野心にむけてストイックな男だった。


世界のアクションスターといえばブルース・リーを思い起こす人もいると思うが、松田優作とブルース・リーは、海外進出を果たすと同時にこの世を去るという、辛い共通点がある。そして、どちらも非常にストイックで、才能に依存しない努力家であった。

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