美しい女性はグロテスク?

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美しい女はグロテスクな存在だ。
そう言われて、みなさんは共感できますか?
上の美女の画像を見て、好みはどうあれ、男性のみなさんは彼女をグロテスクなものに思ったりはしませんね?

しかし、現代より200年前の社会では、女性の美しさを遠ざけようとする風潮があったことが知られています。

19世紀前半のヨーロッパでは、男性は、女性よりも全てにおいて優れている(あるいは優れていなければならない)という考えがありました。そうした思想のもとでは、女性の”美貌”は恐ろしいもの、グロテスクなものだと思われていたようなのです。

グロテスク」という語は奇妙・奇怪・醜怪・不調和・不気味・奇抜なものを指す総称的な形容詞

19世紀初頭の男たち、特に上流階級の属する男たちは、自分たちが優れた人間だと思う一方で、自分たちより劣っているはずの女性たちの美しさや、性的魅力には、とことん心を支配されてしまうという矛盾に戸惑っていました。この気持ちを論理的に説明することができず、不安感や恐怖心を抱いていた男性が多かったことから、「美しい女はグロテスクである」とされていましたのです。

その様子は、当時の芸術や文学の世界で、 「女性性の謎」 という主題が注目されていたことをみればよくわかります。

もちろん、当時の男たちが本当に女性をグロテスク、つまり奇妙奇怪な存在だと思っていたはずはなく、自分たちを不安にさせ、虜にしてしまう力に対する恐怖心を隠すためにそのような表現を用いていたことは間違いありません。

画像1: woman prcm.jp

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自分の感情と向き合えないコンプレックスこそがグロテスクである

実際、当時は女性というだけでとても立場が低く、現代のように、女性が流行を決めたり、好きなスタイルの服を着たり化粧をするということはあり得ない時代でした。
この時代の魅力的であるべき女性像は、あくまで男目線での理想から成り立っており、とても一方的な押し付けであったと言えます。

女性としてのあるべき姿を決めるのは男。
それなのに、男は女の魅力に抵抗できず、精神的に隷属してしまう。この矛盾が、実は女性の側だけでなく、男たち自身をも苦しませていた。それが19世紀初頭のヨーロッパです。

男からすれば、自分に素直になれば、女の素晴らしさを評価せざるを得なくなります。格が上であるはずの自分たちなのに、女の前に複雑な劣等意識を持たざるを得なくなるのです。
だからこそ、当時の男たちは自分自身の感情と向き合うことを恐れ、避けました。その行為、その矛盾、コンプレックスこそが、この時代に起きた「女性性の謎」であり、女性の美をグロテスクなものとして遠ざけようした原因であったと、私は思います。

画像2: woman prcm.jp

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コンプレックスを乗り越えて対等な存在になろう

幸いにして、今の時代は、そのような苦しみはありません。最近では女性の社会進出も進み、男女の社会的立場は平等になりました。

ところが、その結果、男性としては自分たちの存在が女性より格上であるどころか、自分たちよりも金銭的に豊かであったり、自由な存在であると感じるようになっているような気もします。その結果、性的には強く魅了されることで支配されるし、社会的にも互角以上になってしまっているので、どうにも劣等感を抱かざるを得なくなっているのかもしれません。

草食男子(女性との交際に奥手である男性)や、絶食男子(奥手どころか全く手を出そうとしない男子)といった、女性との恋愛に興味を持とうとせず、セックスの欲求を示さない男性が増えてきたというのは、もしかしたら2010年代の現代に、女性の美をグロテスクであると無意識に考えるような、劣等意識(コンプレックス)が生まれているのかもしれません。若い男の子たちは同年代の女性に対して積極的に向き合えなくなり、遠ざける風潮は、このコンプレックスのなせるワザなのではないでしょうか。

同時に、四十代以上の年上の男性を恋愛対象に選べるような女性が増えてきたのは、自分たちが社会的立場的にも、性的にも支配下に置けるような若い男性に魅力を感じなくなったからもかもしれません。若い女性の側も、精神的なバランスが必要になっている、ということではないでしょうか。年上の男性たちは、はるか年下の女性たちに対しては、社会的な立場で互角以下ということはなかなかないので、コンプレックスを感じることがなく、余裕をもって接することができます。

その意味では、若い男性の草食化・絶食化は今後ますます進むのかもしれません。
しかし、本来は、環境による立場の上下によってではなく、男性たち自身の自助努力によって、自分たちよりも上に立ってほしい、と女子も願っているものです。
現代の女性たちは、せっかく得た男女平等の社会の中で、一生懸命頑張っています。美しくあろうとするし、学業や仕事でも成果をだすべく努力しています。だからこそ輝きを増していると思います。
そのことでもし、若い男性たちが自信を失いつつあり、女性をグロテスクな存在と見るようになるのは、女たちにとって本意であるはずがありません。

男も女も一生懸命に生きる。それによって、性を超えて、社会生活のパートナーとなり、互いに魅力を感じるようになる。そういう対等なあるべき姿を取り戻すべきではないでしょうか。

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