英国を代表するメディアのひとつ、MCNによると、6度の世界ロードレースGP王者であり、6度のマン島TTウィナーであるジェフ・デュークが92歳で亡くなったとのことです。

戦後のノートンのエースとして、マン島TTや世界GPで活躍!

画像: 1952年、ダッチTT(アッセン)500ccクラスをノートンで走るデューク。 theselvedgeyard.files.wordpress.com

1952年、ダッチTT(アッセン)500ccクラスをノートンで走るデューク。

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1949年のセニア(500cc)クラブマンTTで勝利したデュークは、その目覚ましい成長ぶりから翌年よりノートンのファクトリーチームに加入。1950年に導入された新型フレーム「フェザーベッド」型マンクス黎明期のエースライダーとなりました。

1950年マン島TTセニア(500cc)で、ノートンに乗り優勝したデューク(57番)。彼は現代主流のセンターファスナー型ワンピースのレザースーツを、最初に着用したライダーとも言われています。

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ノートンからジレラへ

世界ロードレースGPで、1951年に350ccと500ccのダブルタイトルを獲得。そして1952年には350ccクラスを再び制覇したデュークですが、1953年からはイタリアのライバルであるジレラに移籍すると発表し、一大センセーションを巻き起こしました。

画像: 1955年のアルスターGPで、ジレラ4気筒に乗り後方を見るデューク。 1.bp.blogspot.com

1955年のアルスターGPで、ジレラ4気筒に乗り後方を見るデューク。

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MVとジレラの4気筒は当時、エンジンパワーではノートン単気筒を圧倒していましたが、ハンドリングに難があり、フェザーベッドフレームを「強み」とするノートン相手に苦戦していました。フェザーベッドフレーム型マンクスを知り尽くしたライダーであるデュークと、彼の盟友であるケン・スプレイソン(鋼管メーカーのレイノルズ社のスタッフ)の力を手に入れたジレラは、みるみるうちにハンドリングを向上させ、無敵のコンビネーションになるまではそう長い時間を要しませんでした。デュークは1953年から1955年まで、最高峰500ccで3連覇の偉業を達成。1958年以降はプライベーターとなり、1959年にGPを引退しました。

2008年に250ccクラス王者となり、ジレラのレジェンドライダーとなった故マルコ・シモンチェリを祝福するデューク(2009年)。

www.bikeracing.it

MotoGP legend - Geoff Duke - In Pursuit of Perfection

youtu.be

こちらはDUKE VIDEOの、氏の伝記ムービーのトレーラーです。ちなみに同社は息子のピーターが始めた映像会社で、モータースポーツ関連ビデオを得意としています。偉大なる王者、ジェフ・デューク・・・天国で安らかにおやすみください。

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