2009年にダカールラリーが南米に舞台を移して数年経ちましたが、未だに「パリダカ」と呼んでしまう人が数多いことが示すように(笑)、1979年以来の欧州-アフリカ大陸で競われたパリ-ダカールのイメージが強く残っている人が多いようですね。

画像: ベルナルド・チェルニアウスキーとベスパ200Eの勇姿! cdn05.motorsportretro.com

ベルナルド・チェルニアウスキーとベスパ200Eの勇姿!

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長年のダカールラリーの歴史のなかでも、1980年大会の4台のベスパ200Eによる挑戦は、偉大なチャレンジのひとつにあげられるでしょう。チーム監督はジャン=フランソワ・ピオット。イヴァンとベルナルドのチェルニアウスキー兄弟ふたり、そしてベルナルド・ネイマールとマルク・シモノがそのハンドルを託されました。

画像: 4台のベスパは、2台のランドローバーのサポートで冒険を続けました。 encrypted-tbn2.gstatic.com

4台のベスパは、2台のランドローバーのサポートで冒険を続けました。

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小さなスクーターによる大きな冒険

この年のパリ-ダカールの完走率は、全車両211台のうち79台=37%というものでした。一説には、主催者の故ティエリー・サビーヌの「お目こぼし」もあったとも言われてますが、ともあれベスパは4台のうち、ベルナルド・チェルニアウスキーとマルク・シモノが見事に完走しています。

画像: 小径タイヤのスクーターで、砂漠を走るのは相当大変でしょうね・・・。 i36.photobucket.com

小径タイヤのスクーターで、砂漠を走るのは相当大変でしょうね・・・。

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その後のダカールラリーの歴史のなかで、同じようなチャレンジを行った人はおりません。冒険好きな国民が多い、フランス人ならではのチャレンジだったと言えるのかもしれません。

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