ヤマハのデイトナ200マイル支配が続いた1970年代半ば以降、他のメーカーも単に指をくわえてヤマハの勝利を見続けていたわけではありません。スズキはGPマシンのRG500をベースに、RG700というスペシャルマシンを投入しています。しかし、ヤマハも同じようにGPマシンのYZR500の排気量アップ版を投入し、ライバルに対抗しました。

F750からスーパーバイクへ・・・

1984年デイトナ、ヤマハ13連勝最後の年のYZR700(0W69)と勝者ケニー・ロバーツ。後ろはフレディ・スペンサー(ホンダ)

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結局ヤマハの1972年からの連勝をストップしたのは、「ルール改正」でした。1970年代後半から、フォーミュラ・ヤマハ化により人気がなくなった200マイルに代わり、人々の興味の中心は公道車に近い形態を残した量産車改造の「スーパーバイク」に移っていました。そこで1985年からはスーパーバイククラスが200マイルに採用されることになるのです。

スーパーバイク初年度のデイトナ200を制したフレディ・スペンサーとホンダVF750F

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1986年のウィナー、エディ・ローソンとヤマハFZ750

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画像: 1987年ウィナー、ウェイン・レイニーとホンダVFR750F www.riderfiles.com

1987年ウィナー、ウェイン・レイニーとホンダVFR750F

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画像: 1988年、GSX-Rを駆り、スズキのデイトナ200初制覇をプレゼントしたケビン・シュワンツ www.motorcyclistonline.com

1988年、GSX-Rを駆り、スズキのデイトナ200初制覇をプレゼントしたケビン・シュワンツ

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ローカルレースとなっても、変わらない特別な一戦の価値

お気付きかもしれませんが、上にあげた写真に映るライダーはいずれも、最高峰世界GP500ccクラスの王者に輝きました。1980年代は「アメリカン・インベイション」の時代・・・コンチネンタルサーカスはアメリカンライダーの侵略に抗えなかったディケード=10年間でした。ゆえにアメリカ最大のロードレースを制したデイトナ200マイルウィナーに対する世界の注目は、当時非常に高くなっていたといえるでしょう。

しかし1990年代に入ってから、デイトナ200マイルウィナーで、世界GP最高峰クラスの王者になったのは、2002年ウィナーのニッキー・ヘイデンのみです。1990年代からはスコット・ラッセル、ミゲール・デュハメル、マット・ムラディンらの米AMA専門ライダーがデイトナ200マイルを支配するようになり、1972年以前同様の「アメリカン・ローカルレース」風に変質していくことになるのです。

1994年ウィナーのスコット・ラッセル。200マイル通算5勝は最多勝(タイ)記録

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1996年勝者のミゲール・デュハメル(ホンダRC45)。通算5勝の"Mr.デイトナ"のひとり

miguelduhamel.com

2002年勝者で、2006年モトGP王者となったニッキー・ヘイデンとRC51

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2005年からデイトナ200はAMA Formula Xtremeに変更、2009年からはデイトナ・スポーツバイクの規定に変更され、ますますAMAローカルレースっぽくなっていきます。日本でのデイトナ200マイルに関する報道量は1990年代になって極端に減少しましたが、英国人がマン島に、日本人が鈴鹿8耐に、フランス人がボルドールにそれぞれ熱狂するように、デイトナ200マイルはいつの時代も、アメリカのロードレースファンにとっては、特別なレースであることに変わりはないのです。(完)

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