「いくら俺を否定しようとも、俺はお前だ」乗り手を選び、多くの持ち主を事故らせてきた、いわくつきの 一台のフェアレディS30Z。それは同時に、1970年代のクルマでありながら現役最速の座を譲らない、最強のチューンドカーだった。
あまりに魔的な危険さとありえない速さをもって” 悪魔のZ ”と呼ばれるようになったそのクルマを友に、真夜中の首都高速湾岸線を常軌を逸した速度で駆け抜ける少年、朝倉アキオ。
クルマ好きなら誰もが夢中になったはず。それが楠みちはる先生の『湾岸ミッドナイト』です!
『あいつとララバイ』でも書きましたが、楠先生にはキャラ設定(クルマやバイクも含む!)をしたあとは、あまり緻密なストーリーを作りこまないようです。この作品も、特にストーリーはなく、最強の悪魔のZと、そのZに魅入られたライバルとの公道レースが繰り返されるだけです。
ただ、初期はZの強さが目立ち、ライバルたちはZに負けないチューンに気合いを入れるのですが、進行するにつれて(連載が長くなり、いくらチューンしているとはいえZが現代のクルマに勝てるのが、ちょっと現実離れしはじめたのでしょう)、Zは時代に取り残される恐竜のような存在として描かれるようになり、強敵たちとの戦いが情緒的な話へと変化するようになっていきます。
クルマ好きの高校生を一瞬で虜にした悪魔の魅力
主人公 アキオは高校三年生。解体所で見つけた旧型のフェアレディZ(S30Z)に惹きつけられ、アルバイトを掛け持ちして購入したフェアレディZ(Z31型)を売り払い、S30Zに乗り換えます。そのS30Zは見た目の古さとは裏腹に、足回りもエンジンもフルチューンされていたのです。
1巻から最終巻の42巻まで通すと、確かに絵は変わっていますが、『あいつとララバイ』と比べると初期の絵も古さを感じません。というか、初期のほうがギラギラしていてカッコイイと感じるかもです。だから今から初めて一気読みしても、全く問題なくのめりこめると思います。
70年代のマシンでありながら、600馬力、最高速度300キロ以上を叩き出す、常識ではありえない速さをもつS30Zにアキオは夢中になります。
しかし、ほどなくアキオは事故を起こして怪我をします。
このS30Zはいわくつきのクルマで、前オーナー(偶然にもアキオと同姓同名)はこのクルマで事故死しており、その後もこのクルマを買おうとした乗り手も次々と事故を起こして手放していました。ありえないハイパワーと、不吉な伝説。そのおかげで、このS30Zは悪魔のZと呼ばれるようになるのです。
よく事故を起こす、縁起の良くないクルマというのは確かに存在します。周囲はアキオにZを手放すように説得しますが、アキオは耳を貸さずに悪魔のZにのめり込んでいくのです。
悪魔のZに魅入られたライバルたち
Zに惹かれるのはアキオだけではありません。乗り手として選ばれないならば、その前を走りたい!と恋するように願う男(女もいます)たちが、アキオとZを狙うようになります。
その代表格がこの人、島達也。ニックネームは湾岸の黒い怪鳥。ブラックバード、です。
彼は医者でありながら背徳の公道レースにはまっており、悪魔のZに対して、黒いポルシェ911ターボを駆って最強のライバルとして立ちふさがります。
(ちなみに、元オーナーで事故死したアサクラアキオは彼の友人でした)
常にクールで、冷静さを失わず、さらに背徳的な、反社会的行為と知りつつ湾岸で300キロもの速さで駆け抜けるブラックバードですが、一度だけ、走ることをやめそうになるほど、モチベーションを失います。
それはスカイラインGT-R(33型)を駆る黒木の圧倒的な速さを目の当たりにしたときです。悪魔のZ以外に彼が遅れをとったのはこのときだけです。それがブラッグバードの心を折るのです。
それを救ったのはチューナーの北見でした。彼はブラックバードを大阪につれていき、マフラーを交換させます。そのマフラーは、超高性能というわけではないのですが、めっちゃくちゃ音がいい。やる気にさせる音を出すのです!
『湾岸ミッドナイト』のいいところは、こういうところですね。
アキオとZもそうですが、ブラックバードを始め、ライバルたちもまた、死ぬほど恋する愛車があります。その愛車との関係性、まさしく恋人との激しい感情のように、クルマと向き合う、そこがいい。
クールなはずの、クルマは機械、と割り切っていた、壊れたら乗り換える、と考えていたブラックバードにして、愛車と一生添い遂げようという気持ちになっていく。そこがたまらないのです。
後半はチューナー目線の大人展開へ
『湾岸ミッドナイト』は、初期の、不良ぽくて孤独な少年アキオと、最良の乗り手を探し、身をよじるようにして走る魔的なクルマ S30Zの関係性が、ライバルたちを巻き込んでいくさまを描いています。
触れたら火傷する、もしくは凍傷になる。そういう冷たくて熱い、激しい狂熱がストーリーの軸でしたが、中盤以降、徐々に悪魔のZが持つヒリヒリとした感覚が薄れていきます。
アキオ以外が乗ったらまっすぐさえ走らない、とされていた悪魔のZを、誰もが普通に乗れるようになっていきます(笑)。
そして、悪魔のZを撃墜するために必死にチューンするライバルたちと、悪魔のZを死なせない、引退させないために、Zのパワーアップに手を貸すチューナーたちの話が中心になっていくのです。
年齢と経験を重ねたチューナーたちの言葉は重く、物語とは関係なくぼくたちの心に響かせる何かがあります。ストーリーではなく、シーンで、ぼくたちの心をぐっとつかむ。それが楠作品の良さでもあります。
そしてアキオは宵の明星のように
冒頭で述べたように、この作品には特にストーリーはありません。
『バリバリ伝説』のように、一貫してレーサーへの道を向かうわけでもなく、『あいつとララバイ』のように設定を変化させていくわけでもありません。
ただひたすら同じ道を同じように走るのです。夜な夜な首都高を周り、箱根を走り、湾岸を飛ばす。そんなアキオの行動と同じく、同じ展開で『湾岸ミッドナイト』は続いてきたのです。
最後に、アキオを取り巻く人々は、彼と悪魔のZを、金星=宵の明星と同じように神格化します。宵の明星はルシファー、神に反逆した堕天使の象徴です。
悪魔の力を得て、時代を超えて走る奇跡のクルマ。そのZにルシファーのイメージを重ね合わせて、物語は終わります。
『湾岸ミッドナイト』には、結局終わりはないのです。公道レースに勝ち負けがなく、走っている当人同士の心の中でしか決着しないように『湾岸ミッドナイト』もまた、読んでいるぼくたちの心の中でだけ、何かのきっかけになったり、終着点を見せてくれる。
つまり、ぼくたちの『湾岸ミッドナイト』には終わりがない。連載は終わりましたが、ぼくたちの『湾岸ミッドナイト』は、いまだ続いているのです。