ガチのホンダ・ファンを自認する人は、皆"ダブル・プロリンク・サスペンション"をご存知ですよね? 1980年の全日本モトクロス選手権最終戦(鈴鹿)、日本GPで杉尾良文選手が乗ったワークス・モトクロッサー、ホンダRC125Mに装着されていたこの革新的なフロント・サスペンションですが、じつはそのルーツは海外にあったものなのです。

テレスコピック・フォークを凌駕するフロントエンド!

1981年、ホンダ製の"ダブル・プロリンク・サスペンション"を装着したホンダRC125Mは、再び全日本モトクロス選手権(第8戦札幌大会)に登場しました。このマシンに決勝で乗った東福寺保雄選手は、練習走行時に肋骨を骨折するアクシデントに見舞われていました。この怪我を考慮し、テレスコピックよりも乗り心地の良い"ダブル・プロリンク・サスペンション"に急遽交換したRC125Mに乗った東福寺選手は、なんと両ヒートで優勝!という快挙を成し遂げたのです。

画像: ツインリンクもてぎの、ホンダ・コレクションホールに所蔵される"ダブル・プロリンク・サスペンション"を装着したホンダRC125M。ただし、この個体は125cc2気筒エンジンを搭載していますが、実戦を走った"ダブル・プロリンク・サスペンション"車はすべて単気筒エンジン搭載車でした。ですので、この展示車・・・"ダブル・プロリンク・サスペンション"+2ストローク125cc2気筒のRC125Mは、当時の開発者の"夢"の存在・・・みたいな車両なのです。 motocrossactionmag.com

ツインリンクもてぎの、ホンダ・コレクションホールに所蔵される"ダブル・プロリンク・サスペンション"を装着したホンダRC125M。ただし、この個体は125cc2気筒エンジンを搭載していますが、実戦を走った"ダブル・プロリンク・サスペンション"車はすべて単気筒エンジン搭載車でした。ですので、この展示車・・・"ダブル・プロリンク・サスペンション"+2ストローク125cc2気筒のRC125Mは、当時の開発者の"夢"の存在・・・みたいな車両なのです。

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当時のテレスコピック・フォークに比較して、姿勢変化やノーズダイブが少なく、深いギャップに突っ込んだときの衝撃吸収性能にも優れた"ダブル・プロリンク・サスペンション"でしたが、量産化にはコスト的な問題がある・・・などの理由から、その後市販モトクロッサーのCRシリーズなどに採用されることもなく、残念ながらワークスでの開発も放棄されることになりました。

ロジャー・デコスタの強い勧めで導入・・・?

実はホンダが"ダブル・プロリンク・サスペンション"を、ワークス・モトクロッサーに採用した背景には、ひとりの名ライダーの存在がありました。その男の名はロジャー・デコスタ。1966年から1980年までの長いキャリアで、世界モトクロス選手権の最高峰500ccクラスのタイトルを5度獲得したベルギーの英雄です。

その5度のタイトルはすべてスズキのワークス500ccマシン、RN500で獲得したものでしたが、1980年にデコスタはホンダに移籍。その際に彼は、スズキ最終年の1979年に使用した"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"のパテントを買うことを、ホンダに強く勧めたと言われています。

"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"に着目したメジャー・メーカーはホンダだけではありませんでした。イタリアのカジバも1980年ころからモトクロスの世界へチャレンジを始め、その時期に"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"をWMX125に採用したりしています。

その・・・"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"ってなんじゃらほい? という方は多いと思いますが、これはバレンティーノ・リビという方が考案したリーディング・リンク・フォークの一種です。

R.デコスタの乗るスズキRN500に装着された、"リビ・クアドロラテラリ・フォーク"。当時一般的なテレスコピック・フォークよりも軽量に仕上がっていました。なおショックユニットには、オーリンズ製を採用してました。

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画像: こちらはイタリア製ビラ250に装着された"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"です。ホンダ・ワークスのRC125M"ダブル・プロリンク・サスペンション"に非常に似ていることがよくわかりますね。 motocrossactionmag.com

こちらはイタリア製ビラ250に装着された"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"です。ホンダ・ワークスのRC125M"ダブル・プロリンク・サスペンション"に非常に似ていることがよくわかりますね。

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一般に、リーディング・リンク・フォークのオフロードモデルというと、英国のグリーブスやDot、ドイツのDKW・・・などが採用していたことが有名ですが、1970年代には時代遅れなフロントエンド・・・という印象を持つ方が多いと思います。

しかし、1970年代もアメリカのアフターマーケットでは、スウェンコ、バンテック、そしてソアークスなどのリーディング・リンク・フォークのキットが販売され、オフロードファンから一定の支持を集めていました。そのことが示すとおり、当時はまだテレスコピック・フォークが絶対的なフロントエンドの地位にあったわけではないのです。

その見た目から、リーディング・リンク・フォークはテレスコピック・フォークより重い・・・と考える方は多いでしょうが、軽量なクロモリ鋼管やアルミ合金を使ったリーディング・リンク・フォークは、むしろ1970年代までの一般的なテレスコピック・フォークよりも軽量で、剛性に優れたフロントエンドだったのです(欠点は、専らコスト・・・にありました)。

再評価される日は・・・いつか来るのでしょうか?

オフロードの世界では1980年代以降、コストや様々な理由から、最も発展の余地があるテレスコピック・フォークの開発に注力されるようになり、今に至っています。そんな状況である昨今、再びリーディング・リンク・フォークの可能性を追求する・・・ような試みに没頭する人は生まれにくいと思いますが、"乗り味"というフィーリング面での魅力から、この分野の研究に取り組む試みがあったりすると面白いのに・・・と思います。

"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"が実際、どれくらいオフロード走行で有効なのかイメージしにくい・・・という方も多いと思いますので、ちょっと参考になりそうな動画を探してみました。かつての東ドイツで生産されていたシムソンに、"リビ・クアドリラテラリ・フォーク"を装着したマシンの、フロントホイールのロードホールディング性をとらえた動画です。ぜひご参照ください。

画像: Kitzels Moped Ribi Fork Testfahrt 1 youtu.be

Kitzels Moped Ribi Fork Testfahrt 1

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