世界最高峰の戦いを演じたライダーたち。その中でも目映いばかりの光を放ち、僕たちを魅了して止まなかった伝説のライダーがいる。ここでは、そんなレジェンド・ライダーと世界で活躍した日本人ライダーに焦点を当ててその栄光の軌跡を辿っていきたいと思います。

モリワキとの深い絆を持つ「ミスター8耐」

画像1: (Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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ワイン・ガードナーが世界GPを現役で走っていた頃、日本のレースファンはGPのトップライダーの中で、特に彼に強いシンパシーを感じていたものだ。
80年代初頭にオーストラリアの国内レースで走っていたところを森脇護氏に見出され、世界GPにデビューするまで、そのキャリアの初期をモリワキのマシンと共に過ごしたことが強く影響している。特に当時のレースファンにとって印象深いのは、鈴鹿8耐での走りだろう。
81年の鈴鹿8耐、無名のオーストラリア人でしかなかったガードナーがモリワキ・モンスターで叩き出したタイムは、当時の鈴鹿のコースレコードを3秒あまり更新する驚異的記録! 決勝ではスタートに失敗するが、後方から超ハイペースで追い上げトップに浮上し、最後は転倒リタイアという劇的なレースを展開、その名は強く日本のファンの記憶に刻まれた。その後8耐には92年までに10回走り、予選は92年以外1位か2位、通算4勝をマーク(残りは全てリタイア!)。8耐が熱く燃えていた時代を象徴する「8耐男」だったのだ。

85年に世界GPにフル参戦を開始したワイン・ガードナー。パワースライドを多用する独特の走
りはGPマシンにもマッチし、86年にはホンダのワークスチームに加入。NSR500を駆り開幕戦のスペインでGP初勝利!シリーズランキングも2位を獲得します。その後も実力を示し続け、87年にヤマハのランディ・マモラとの死闘を制し、オーストラリア人として初めて世界GP最高峰クラスでのタイトルを手にしました。

WGP成績

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1983 WGP500 HONDA NS500 ノーポイント
1984 WGP500 HONDA NS500 7 位
1985 WGP500 HONDA NSR500 4 位
1986 WGP500 HONDA NSR500 2 位
1987 WGP500 HONDA NSR500 チャンピオン
1988 WGP500 HONDA NSR500 2 位
1989 WGP500 HONDA NSR500 10 位
1990 WGP500 HONDA NSR500 5 位
1991 WGP500 HONDA NSR500 5 位
1992 WGP500 HONDA NSR500 6 位

「最強」の代名詞だったロスマンズカラーのNSRを背負って立ち続けたガードナーは、1989年シーズンの第2戦、アメリカGPで右足骨折の重傷を負って以降、不調が続き引退。その後も四輪への転向や息子をGPライダーとして育成するなどモータースポーツの発展に精力的に貢献を続けているのです。

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